うつし花という言葉を私の生け花の名にしようと決めたのは、第一には『心の様子が生けた花にうつる』ということを一番大切に考えているからで、元々はそういう意味で名付けたのだけれど、調べていけばいくほどに色々と紐解かれていくものがあり、最近ではもうほとんど最初から決まっていたのではないかと思えるほどになってきた。
うつし花とは俳句の季語であり、ツユクサの別名であると知ったのは、確かにこの名前にしようと決めた後のことのはずなのだけど、今年初めて皆様の前でその一片を発表する機会があった『アケビとカグヤの十五夜』というもう二十年近くも前に書いた物語の中で、私はすでにツユクサの花の色について書き記していたことをついこの間に発見した。
『アケビとカグヤの十五夜』はその題名からも察せられるようにかぐや姫の物語を基盤のテーマに置いていて、その主人公の一人である「カグヤ」の瞳について、「ツユクサの花の色」であると書いてあった。
そのことにも驚いたのだけれど、実は今朝もっと驚いた発見があって、なんとツユクサは万葉集では「月草」と記されているそうなのだ。
当時の私は、もちろん知る由もない。
二十年後の未来で自分の生け花の流派を「うつし花」と呼ぶことも、それがツユクサという意味を持つことも、かぐや姫につながるカグヤの目の色を、まさか月の草と知らずにツユクサと書いていることも。
本当に本当に、不思議なのだけれど。
直感的に瞬間瞬間の言の葉を書き取って過ごしていると、やがて積み重なった時間がひとつながりに、こうしてその全体像を表してくることがある。
二十年前はたちまち「今」につながって、最初から何もかもお見通しとばかりに訳知り顔でそこにいるのだ。
「うつし花」はそういうわけで、私にとって何重もの意味を持つ多層構造の花となった。
庭に蔓延るツユクサと毎朝格闘している。
花は可憐だが、その身と根は逞しく、強い。
土につながる月の草
いいかい空ばかり見るでないよ
刈られても刈られても
それでも己が星の道
はたとせ先の未来まで
ただ真っ直ぐにつづいてゆけ
2025.7.3 末富晶


