2025年の8月が半分を過ぎた。
今年のお盆は昨年末に亡くなった祖母の初盆だった。
お寺さんが来られる日の朝、庭に出れば、揚羽蝶がやって来て
父が植えた青紫蘇の葉にとまり、こちらをじっと見つめていた。
こんなに生き生きと輝く季節に、けれど毎年、魂や死についてありありと近く感じる。
祖母は8月生まれだった。
101歳の大往生。
もしかして帰ってくるのなら、それはもちろん、大切にしていたこの庭だろう。
この庭で花を育て、この庭で鳥と話し、この庭を眺めて共に煎茶を飲んだ。
その日々は遠くとも、確かにここに息づいている。
年を重ねた分だけ、記憶もまた重なっていく。
そのすべてを纏ってここに立つだけの力量を、私は備えられているだろうか。
生きている人間に比べて、あちらの方々の意識の層はおぼろに感じられるが
その真髄はどこまでも深い。
命持ちここにある身の特権は、そのすべてに思いを馳せられることだ。
それはすなわち、
祈ることができるということだ。
生きることは、祈ること。
ー 果ての世よりこの日まで
今なお続く同じしぐさで ー
命輝かせよ。
2025.8.16 末富 晶


