年々、言葉を書く人に出会う確率が高くなっている。
詩人となり、ありがたくもそうした方々と同じ場を共有することが多くなったことももちろんきっかけの一つではあるが、そういう「詩人」や「作家」といった肩書きを持たずとも「言葉を書いている」人はいるということを、日々確かめる機会が増えているのだ。
もちろん「絵」や「写真」や「音楽」など、人知れず取り組んでいることがある方は他の分野でも多くおられることと思うが、「言葉」は中でも特にその隠れっぷりが見事であるケースが多いと思う。
ノートに一人、綴っている言葉。
誰にも知られずに消えていく言葉が、この世のどこかで今日も生まれている。
その言葉というのは、単なるコミュニケーションの手段とは一線を画している。
目的とするものが、そもそも違うのだ。
自分との対話だろう、と言う人もいるかもしれないけれど。
一理あるが、それですべてを説明できているわけでもないと思う。
何か訳のわからない力に突き動かされ、とにかく言葉を書いてしまう。
書かずには生きておれない。
そういう人が、どうやら一定数存在している。
まるで何の準備もなく地上に上がってしまった半魚人のように。
陸地での呼吸の術を求めて、言葉を綴る。
言葉によって、どうにかここに息をつないでいる。
言葉は海とここをむすぶ撚り糸であり、さらには天まで続く光の梯子でもある。
その両方につながれて、やっとここにいることができる。
自分の立ち位置を、その座標を、定めることができる。
他者とのコミュニケーションの言葉、というものに向かうなら
この種の人々にとっては、そこからしか話が始まらない。
そこからしか、始めることができない。
かくゆう私ももちろん、この種のものである。
深海から言葉をつなぐ日々はしかし、なかなかに時間がかかるし、潜っている間はひとりを余儀なくされる。
みんな本当によくやっているから、ねぎらい合ってしかるべきだ。
2025年が終わろうとしている。
みんなよく頑張りました。
ここに出会ってくれてありがとう。
2025.12.29 末富晶


