ひとやすみ

 いにしえの文章の校正作業を続けている。

 つまりはるか昔に書いた自分の物語を見直している。

 今見ているものは当時すでに完結させていたもので、だから校正すればすぐにでも形になりそうで。ひとまずやってみているのだけど。

 いざ取り組んでみれば当初の予想より体感として数十倍の時間がかかっている。

 物語というのは不思議なもので、その中に入り込まなければ書けないし直せもしないものなのだけど、入り込んでいる間は時間の感覚がいつもとまるで変わってしまう。

 一ページに対して何分、とか、そういう杓子定規的な考えには決して当てはめられない。

 十ページが数分ですむこともあれば、数行に一時間かかることもあり。

 ふと時計を見て瞬く間に数時間過ぎていることに気づき、恐ろしく思うこともある。

 うらしま太郎ではないが、あちらの世界に留まっているうちにこちらでは数十年経っていました、なんてことになったらシャレにならない。

 でもまあ幸か不幸か、そこまで寝食忘れて入り込めるほど、社会を逸脱してもいない。

 ちょっとぶつぶつ言いたいだけで、本当は淡々と事は進んでいる。

 決めたのだから形にできるところまでやるのみなのだ。

 昔の文章を読んでいると、「きっとこういうことが言いたかったのだな」と分かるのに、語彙が少なかったり慣用句が間違ってたりしてそのものの真ん中を言葉にし損ねている箇所をいくつも見つけられて面白い。

 今の自分がそれを発見して、今の言葉で書き換えると、「より鮮明なそのシーン」が表れてくる。

 風景や登場人物の動きや心情が、よりはっきりとした輪郭を持って生まれ変わる。

 そう、この物語は2025年に生まれ変わっている。

 なにしろ結末を反転させている。

 まさか20年も先の未来の自分が、そうして再び手を加え形にしようと取り組むとは、かつての私も思うまい。

 でも本当は今の私にも、一体全体どうしてこういうことになっているのか分かっていない。

 「それをしてどうなるの?」

 「そこからどうするつもりなの?」

 と聞かれたりもするけれど。

 とても正直に答えれば「分からない」と言うしかない。

 ただ、物語がこうして今に浮かび上がり、新たな完結に至ったから。

 外に出るのは今、と感じてそうしている。

 外に出る、というのは世間に発表するとかそういう大袈裟な意味ではなくて、つまり私一人がイメージの中で持っていた段階から、他の誰かと共有できる「表現」の段階に移行する、ということ。

 一人で持っているものは幻想や妄想と呼ばれるような靄のかかったあやふやな何かだが、誰かと共有できた時にやっと実体となりこの世のものとなる。

 「この世のもの」を創作し、交換し、その中に響き合いたいという本質的な願いを、人は持っている気がする。

 少なくとも私は持っている。

 されど

 それを生み出すには時間がかかる。

 思っていた以上に、たくさんかかる。

 人間である限り、そうなのだ。

 

 だから何度も何度も、途中でへこたれてきたけれど。

 もしここで形にできるなら

 それは今に続く道だったのかも知れない。

 なんてここに書いているのは実は数日入り込み過ぎて疲れたので、軽く休憩を取るためである。

 さてまた引き続き、校正作業を進めていこう。

2025.9.18 末富 晶

Instagram: shou.suetomi

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