落ちこぼれ続けてここまできた。
と書けば、そんなことはないでしょうと言われてしまいそうだけど。
確かによくよく考えてみると全然そんなことはないが、でもやっぱりある一面から見るとやっぱりドロップアウトしてきた人生なんだと思う。
ある一面というのがどんな場所なのか、正確に表現するのは難しいけれど、多くのみんなが当たり前に通ってきている道だということには間違いない。
私の経験の中ではダントツ一位で不登校がその最たるものだと思うけれど、その後学校に戻る道を選ばなかったことでもう人生全体が変わり者の生き方になってしまった。
決してそうしようと望んだことではない、と小さな自分は反論するが、こうしてもう決して短くはない日々を生きてきて振り返れば、やっぱり大きな意味では自分自身が望んだ道なのだろうと思う。
矛盾しているけれど、自分の中にも階層があって、どの段階の自分から考えるかで出てくる答えは変わってくる。
昔、ドリッピーという英語教材の物語があって、父がそのテープで勉強しているのを側でよく聴いて、オープニングは空で語れるぐらいに覚えていた。
ドリッピーは一粒の雨粒の子どもで、家族と一緒に葉っぱの上に住んでいるのだけど、外の世界が見たくてその安全な場所からある日地面へ落ちて旅をはじめる。そんなお話だった。
変わり者で過ごしていると、面白いものでその後出会う人たちも変わり者の確率がグッと高くなる。それぞれ生き方も個性も様々だけど ー 葉っぱの上から地面へ落ちてきた ー ということは共通していて、10代の頃の友人の一人が「俺たちドロップアウツなんだから」と言った時、私は瞬間的にドリッピーのことを思い浮かべていた。
雨の一粒は、大河の一滴でもあり
どのように過ごそうともやがて大海へとつながるものたちだ
だからそのことに大きな意味では何の心配もないが、お手本とする人のいない生き方に小さな私は毎度「これでいいのか」と立ち止まる。
それでいいのだ、小さな私よ。
と、大きな天が語る言葉を集めていたら、いつの間にか詩人となった。
書いてきた詩や物語の中に散りばめられた言葉たちは、もうそれそのものが星の光だ。
なぜってそれは、一粒の私の中から出てきたものではあるけど、大海につながって流れてきたものだから。
そこには過去のすべて、未来のすべて、今を生きるものたちのすべてがあるのだから。
2025.7.5 末富晶


