電車の中でも文章が書けるのか、ちょっとやってみようと思う。
もちろん書けるに決まっているのだが、そういうことではなくて、いつものようにいつものリズムで書けるのかなという、興味半分、疑い半分の気持ち。
長距離移動にPCを持ち歩くことは少なくて、ちょうどたまたま、その機会に恵まれているからやってみようじゃないかというわけなのだけど。
昔からよく電車の中でPCカタカタ仕事をする方々の姿を見かけていたが、ついに今日は私もその一人となるのだ。
予想よりも車体は揺れて、キーボードと画面が膝の上でゆらゆら動く。
ちょっとだけあやしい話をすれば、私は言葉を書く時、自分の身体が光の柱になって天地を繋いでいるような感覚があるのだけど。もしそうだとすれば今は電車とともにその光の柱が高速で地上を走っていることになる。
どんなものにアクセスするのか、瞬間瞬間、景色も変わる。
そら街に来た、森だ、川だ、また街だ。
今日の空は霞がかった白い夕暮れ。
空は高く広く見えている。
いつものリズムになる必要はない。違っていい。というか本当はいつも、毎日、我々は違った『わたくし』になっている。
それを一本筋を通して見せようと、これまで頑張ってきた気がするが、こうやって電車に乗って見知らぬ景色の中馴染みのないリズムを刻めば、自分の日常の枠組みに一つ異なる回路が生まれる。
放っておくと、人は同じような思考で一日を繰り返し生きようとするものらしい。
自我はその安心を尊ぶが、魂はもっともっと大きくなろうとパターンを崩す方に回る。
どちらが勝つのか。
その軍配は今日のところはどうやら後者にあがった。
光の柱で描く道
それが一本の大いなる絵筆なら
私の行く道どこにでも
光の花を咲かせてまわろう
2025.7.9 末富 晶


