Ut pictura poesis

 蘆花浅水荘にて開催させていただいた、黒川ツナ子さんとのアート展『つむぐ思い かさねて』おかげさまで盛況の内に幕を閉じました。

 ご来場いただいた皆様、お気持ちを向けてくださった皆様、誠にありがとうございました。

 途中にも記していたのだけれど、はじまる前は長いのだろうなと感じていた7日間がいざ幕開けばもう本当にあっという間に過ぎ去っていった。

 一日一日は本当に濃い時だったのに、時間の重さと軽さを同時に感じるような不思議な日々。

 私個人としては、たくさんの方に生け花を見ていただけて、たくさんの人に詩の聲を聴いていただけた充実の日々だった。

 当初は初日と最終日にしか時間を決めていなかった詩の聲(こえ)の公演だけれど、主催のIKA laboさんの采配で結果的になんと毎日平均3回も開催させていただいた。

 一回ずつの時間は短いとはいえ、こんなに連日、詩を聲にするのは初めての体験。

 その度に今回の趣旨と、なぜこのアート展を黒川ツナ子さんと共にこの蘆花浅水荘にて開かせていただくことになったのか、その経緯をご説明いただいたのだけれど。

ー 詩人で華道家の末富晶さん ー

 とその都度ご紹介いただき、皆様の前でご挨拶して。詩を聲にして。

 この7日間の間、夢のような瞬間は無数にあったが、後から思い返してみてもこのご挨拶と詩の聲の公演シーンは私にとってまさに夢のような舞台であったと思う。

 詩の言葉は、昔々から書いていた。

 ノートいっぱいに何冊にもわたって。

 だけども自分で自分のことを「詩人」と名乗るまでには、思い返せばとても長い時間がかかった。

 生け花でもそれは同じことだけれど、特に「詩」は、多くの人にはその本質が伝わらないだろうと思っていた。

 この社会の中で「ポエム」とは時に嘲笑の対象とされているのだから。

 その現場を何度も目にしてきたのだから。

 こんなに大事にしてきたものなのに、でもだからこそ、表に出して世界に受け入れられなかった時のことを想像すると足がすくんだ。

 一人でひっそりと書いていた。

 詩も、物語も、他のあらゆる言葉の何もかもを。

 身の内に生きる言葉たちの息吹が何より確かな礎となっていることを知りながら、それを表立って語ることはなかった。

 それから数十年の月日が過ぎて。

 まさかこんなにたくさんの皆様の前で、自分の詩を聲にする日が来ようとは。

 あの時の物語を形にし、読んでいただく日が来ようとは。

 他の誰かの内にも、その言葉の響きがこだまする日が来ようとは。

 それが現実になり出してから、もう何度も何度も、生きていてよかったと感じている。

 大袈裟なようだけれど、そういう気持ちでいる。

 詩人であると決めたのは、一体いつの日だったのだろう。

 正確には覚えていないけれど、その決意が過去のどこかの時点で、私の中にはっきりと灯された瞬間があった。

 その灯火が、この夢のような時へつづく道を照らしてくれたと、そう感じている。

ー 空白のそこに 火を灯して ー

 自分が何者であるかを決めるのは、他でもない自分自身なのだ。

 この7日間のすべてに感謝して。

2025.11.3 末富 晶

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黒川ツナ子 ✕ 末富晶 ✕ 蘆花浅水荘

〜つむぐ思い かさねて〜

画家と詩人・華道家によるアート展

記念冊子『Ut pictura poesis』ー詩は絵のようにーより

「 灯火  」

あなたの火を灯して

内なる火を

もう何度も聞いた言葉の中に

新たな光を見つけて

あなたの火を灯して

命の火を

いつかは消える定めの灯火を

永遠のものとするために

空白のそこに 

火を灯して

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